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高橋真梨子 激やせ33キロ画像はがんや病気は原因外と金スマで判明!

高橋真梨子の紅白激やせが心配ですが原因は”がん”や病気ではなく、更年期障害と幼少期のトラウマと判明しました。

金スマ主演の際、33キロ以下の画像を発見しましたので激やせの経緯を含め幼少期からこれまでを時系列でまとめてみました。

 

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高橋真梨子の紅白激やせ33キロ画像が金スマで判明!

2016年の紅白に出演した歌手・高橋真梨子の激やせした姿に驚いたのでその原因などについて調べてみました。

すると偶然にも金スマで高橋真梨子の特集が組まれ放送となったので、33キロ以下と言われる激やせ画像が映し出されました!

その激やせ画像の比較がこちらです。
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33キロ以下の体重となった高橋真梨子。
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夫・ヘンリー広瀬の話では高橋真梨子のベスト体重は41キロ前後らしいですが、番組内の話では現在の体重は33キロを切っていて歌い終わると誰かの支えがないと歩けない状態とのこと。

3年前に金スマに出演した時と比べると”激やせ”ぶりがはっきりと分かります。

では高橋真梨子が激やせした原因は一体何なのでしょうか?

ネット上では”がん”や”病気”を疑う書き込みもあるようですが、実際は違っていて幼少期に体験したトラウマ更年期障害が原因となった精神的な部分が関与しているようです。

激やせの原因は病気やがんではなく”トラウマ”!

高橋真梨子は金スマの中で、自身の体調不良(激やせ)についてこんなことを話しています!

ずっと体調は思わしくなく、年に2度ぐらいしかベストな体調はなかった。
自分は口では言えないような人生を経験した。
その時のことがトラウマとなり現在の心に影響し、48才頃に経験した”更年期障害”をキッカケに体調不良を引き起こすようになったと思う。

回りから「暗い心を持った歌い方と太陽のように明るい歌い方」の両方を持っていると言われる。
きっと自分は明るい性格の子供だったのかもしれないが育った環境が大きく影響し、自分の中で整理を付けることが出来ないままこの年まできてしまった。

・・・と。

では「口では言えないような人生」とはどんな人生だったのでしょうか?

金スマで語った高橋真梨子が経験したトラウマになるほどの人生を、幼少期を含め時系列的にまとめてみました。

 

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高橋真梨子のトラウマとなった幼少期とその後!

高橋真梨子の両親は広島出身で、被爆した後に結婚しています。

父親:月夫は19歳で被爆。後にジャズバンドマンとなる。
母親:千鶴子は16歳で被爆。後にダンサーとなる。

結婚した2人の間に高橋真梨子が生まれたことを機に、九州福岡に移り住んだ。

当時戦争で駐留していたアメリカ軍の影響もあジャズが流行!ジャズマンだった月夫はその恩恵にあずかり一家は幸せな生活を送っていたようです。

そんな高橋家にある小さな事件が起きるのですが、これが高橋真梨子を後々まで苦しめる”トラウマの元凶”となっていった。

ある日月夫がスコップで左足の親指付け根をケガ。自宅で応急処置をしたまま半年が経過したが、治らなかったことら病院を受診!

脱疽(だっそ)と診断され、左足を切断する事態になってしまったが、その後病気の進行が止まらず両足を切断することになります。

脱疽とは壊死した組織が細菌などの感染で腐敗する病気。月夫の場合、被爆が影響し免疫力が低下していたとも考えらるようです。
こちらは再現VTRの画像

月夫の両足切断で高橋家の生活は一変!生活費と高額な治療費を稼ぐために母・千鶴子がキャバレーのホステスとして働いたが、毎晩遅くまで働く千鶴子に迷惑を掛けたくないと月夫は実家に帰り離れて暮らすことを決断、別居状態に。

その後千鶴子は勤めていたキャバレーのボーイと不倫関係となり、この頃から高橋真梨は母に対して反感と憎しみを持ち始める。

夫婦の関係が修復できないまま真梨子が10歳の時に両親が離婚。

不倫関係となっていた男性が家に居着くようになったことで、母からの愛情を受けられないまま幼少期を過ごすこととなった真梨子は憎しみを倍増していったようです。

父・月夫は病気が原因で37歳で亡くなるも真梨子は千鶴子のせいだと思い、真梨子の憎しみは母・千鶴子が”がん”で余命半年の宣告を受け、東京で同居するまでの49年間続いていた。

母・千鶴子は高橋真梨子との同居後、余命半年を待たず4カ月後に70歳の生涯を閉じた。

同居する以前の千鶴子は、不倫相手の男性はすでに亡くなっていて1人福岡でスナックを経営しながら暮らしていたという。

高橋真梨子の人生を変える出会いが訪れる!

歌手を目指しジャズクラブで歌っていた高橋真梨子を、東京大手芸能プロダクションがスカウト。真梨子は16歳で上京し、スクールメイツのメンバーとなる。

しかし、グループ活動や踊りなどに違和感を感じた真梨子は3年で博多に帰り、再びジャズを歌った。その後何度も東京からスカウトを受けるも断り続けていましたが、ボーカルを失った人気バンドのペドロ&カプリシャスと出会う。

ペドロ&カプリシャスは、1971年に「分かれの朝」が大ヒットした人気バンドだったのですが、ボーカルの前野曜子(当時24歳)が黒人の恋人を追って失踪(後に渡米と分かる)!

バンド再始動の為ボーカルを探していた時、メンバーのペドロ梅村が、博多でのジャズクラブで見かけた高橋真梨子を思い出しボーカルを交渉!
1972年に1年間の約束でペドロ&カプリシャスの二代目ボーカルを務めることとなる。

そしてあの名曲「ジョニーへの伝言」「五番街のマリーへ」でヒット!その後、昭和の名曲が次々生まれた。

1973年24歳:「ジョニーへの伝言」デビュー曲
1973年24歳:「五番街のマリーへ」
1973年24歳:「紅白に出場」
1978年29歳:「ソロ」として活動開始
1978年29歳:「あなたの空を翔びたい」ソロ初シングル
1982年33歳:「for you」東京音楽祭国際大会で金賞受賞
1984年35歳:「桃色吐息」銀座ジュエリーマキのCM起用
1984年35歳:「紅白に出場」ソロ
1992年43歳:「はがゆい唇」ドラマ主題歌に起用
1994年45歳:「遥かな人へ」リレハンメル五輪のテーマ曲
1996年47歳:「ごめんね」ドラマ主題歌に起用

67歳になった現在でも、年間50回にも及ぶコンサート活動を続けています。

高橋真梨子のトラウマが金スマで明らかに!

高橋真梨子は金スマの収録の中で、憎み続けてきた母へ取った自分の態度について後悔の念を何度も口にしています。

それは母・千鶴子が亡くなって、遺品整理の為に福岡の自宅を訪れた時の出来事。自宅には真梨子がこれまで出演したTV番組の録画テープと、雑誌記事のスクラップが大量に保管されてあった。

さらに真梨子が仕送りの為に渡した預金通帳を見ると25年間仕送りしたお金には一切手が付けられておらず、憎み続けていた母親が誰よりも自分を応援してくれていたことを知ったのです。

高橋真梨子は・・・

今考えると全部申し訳なかったと思う。母には母の人生があった。恋愛もしたかっただろうし・・・。
あの当時、1人では私を育てるのは辛かったのかもしれない。

もう少し2人で暮らせる時間があれは検査にも連れて行けたかもしれないと私はいつも後悔している。

・・・と。

高橋真梨子はこういった後悔の思いが強くあり、幼少期体験のトラウマをさらに強くさせていると思われます。

 

この話題について思う事・・・・。

高橋真梨子が金スマで話した内容から、激やせした原因が幼少期体験のトラウマだったと分かりました。ネット上で噂になっていた”がん”や病気ではないことが分かりましたが、精神的な病気という一面が潜んでいるようです。

高橋真梨子が現在経験している体調不良に似た事例を以前TVで特集していました。

それは妻を”がん”で亡くし、その後夫が重い更年期障害と”うつ病”を発症したというドキュメンタリー番組です。

夫の病気の原因となったのが”妻の病気に気付いてあげられなかったという後悔”の思いから。高橋真梨子の現在の思いに似た状況なので、少し心配になります。

生涯現役で歌い続けることを宣言する高橋真梨子。

ファンの1人として体調が戻ることを祈っています。

今後も応援しています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

高橋真梨子 激やせ33キロ画像はがんや病気は原因外と金スマで判明!

・・・でした。

 

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