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岡田有希子 真相を記した遺書が存在!新事実は峰岸徹への思いか?

岡田有希子の真相に関する新事実を元専務がテレビ爆報フライデーで告白するようです。

峰岸徹への思いを記したとされる遺書が存在し当時の所属サンミュージックの金庫に保管されていて、一部が公開されているようです。

没後30年となる岡田有希子の遺書や峰岸徹との関係などの真相にスポットを当ててみました。

 

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岡田有希子の真相と新事実をテレビ爆報フライデーが?

岡田有希が亡くなって30年が経過しましたが、爆報フライデー2時間スペシャルテレビでこれまで明かされなかった真相について新事実明らかになるようです。

爆報フライデーでは岡田有希が亡くなる直前まで一緒だったとされる、
所属事務所サンミュージックの元専務(福田時雄?)が当時の状況の詳細について告白するとのことですがどんな内容になるのでしょうか?

 

岡田有希が亡くなったのは1986年4月。所属事務所サンミュージックの屋上から飛び降りたことによる全身打撲が死因でした。

当時この事件が報じられ時は現在のように報道規制が厳しくなかったようで、現場から衝撃的な映像が配信されていて、その時の様子が現在でも検索すると画像として残っていますが見ることはあまりお勧めしません。

特に芸能レポーターとして有名だった梨元勝(2010年8月没)がレポートした動画が残されていますが、捜査中にも関わらず捜査員に怒鳴られながらでもある意味取材が許されていた時代だったことに驚かされます。↓↓

今回爆報フライデーに出演する元専務という人物は多分、この動画で梨元勝から取材を受けていた当時の専務、福田時雄ではないかと思います。

 

遺書を残した岡田有希子はどんな人?wiki画像プロフィール

wikiプロフィール

職業: 歌手 (アイドル)
芸名: 岡田有希子
本名: 佐藤 佳代 (さとう かよ)
愛称: ユッコ
出身: 愛知県一宮市
出生: 1967年8月22日 (1986年没)
身長: 155cm
体重: 44kg
血型: O型
3S: B86・W58・H84
学歴: 名古屋市立沢上中学 → 堀越高等学校
所属: サンミュージック
活動: 1983年~

受賞歴
・日本レコード大賞
・日本歌謡大賞他
・最優秀新人賞

愛知県一宮市に2人姉妹の次女として生まれた岡田有希子は1984年、16歳で芸能界デビューしました。

デビューから8カ月でレコード大賞最優秀新人賞を受賞する一方、当時事務所の先輩だった松田聖子が作詞した「くちびるNetwork」でオリコン1位を獲得。

人気絶頂期に自ら命を絶ったことで、ファンが後追い自○をするなど社会現象にもなり国会でも取り上げられた。

岡田有希子の新事実は遺書と峰岸徹の真相か?

 

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峰岸徹と岡田有希子は交際してたのか?遺書は

岡田有希子の真相として噂されているのが、2008年8年に肺がんで亡くなった俳優・峰岸徹との関係です。

岡田有希子と峰岸徹は「禁じられたマリコ」というドラマで共演した事がキッカケとなり、親密な関係に発展!

後に岡田有希子の”意中の人”となっていきます。

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このとき峰岸徹は42歳!妻で女優の藍とも子とは離婚していますが、すでに”婚約者が存在していた”ようです。

岡田有希子が亡くなった時は峰岸徹が交際相手で、その”交際のもつれが原因”で岡田有希子が自○したのではないかと噂されました。

しかしこの2人が交際していたという事実は確認されておらず、峰岸徹は後のインタビューで・・・

「正直、ものすごくショックです。僕は兄貴のつもりでいたんですが彼女はそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。それが愛だったら、責任を感じます」

とのコメントを残しています。

そして岡田有希子の峰岸徹への思いが”片思いで叶わぬ恋”と悟ったと思われる事実が亡くなっ後に判明します。

 

それは2013年5月に83歳で亡くなったサンミュージック社長・相澤芳郎が目にした、岡田有希子が残していた1冊のノートでした。

相澤芳郎はその発見されたノートを読んで真相が理解できたと後に語っています。

そのノートには・・・

岡田有希子が峰岸徹を思い、そのことがうれしくて、喜ぶさま。一方で、その恋は成就することがないと判断し、真綿でクビを絞められるような苦しみが克明に綴られていた。

「有希子は峰岸さんに恋焦がれて、プラトニックな愛を持ち続けて、自殺したんです」

と相澤芳郎は気付いたといいます。

これらの事を前提にして亡くなった理由を考えると、岡田有希子が好意を寄せて始めた時に婚約者の存在を知らなかった。しかし親しかった2人の会話の中で峰岸徹が婚約者の存在を明かす話しをしたのではないでしょうか?

 

岡田有希子は鉛筆書きの遺書とみられる便箋を残しています。

峰岸さんにふられた。もう一度お会いしたかった…勝手なことをしてごめんなさい。

といった内容が書かれてあり、サンミュージックの金庫に保管されてたというが、現在も同所に保管されているのかは不明です。

死の真相は峰岸徹との失恋による”うつ病”発症とも

岡田有希子の死の真相について、当時取材を受けていた専務の福田時雄のコメントの中で岡田有希子は”躁鬱うつ”が激しい娘だったと証言しています。

岡田有希子はビルから飛び降りる前に、自宅マンションでリスカガスによる自○未遂を起こし、レスキュー隊に助けられています。

その際押入れで泣いていたことなどから、失恋により精神的な不安定さが増し”うつ状態”になったいたようです。

実は岡田有希子がビルから飛び降りる当日、自宅マンションを深夜に抜け出し峰岸徹の自宅があった成城学園に向かい、明け方近くにタクシーで自宅に戻ったことが目撃されているといいます

一部の見方としてはこの時点で飛び降りを考えていたが実行できず帰宅。

自宅マンションでリスカガスによる自○を決行するも失敗!うつ状態が強くなりその後”サンミュージック屋上から飛び降り”という経緯を辿ったのではないか?との見方もあるようです。

実際”うつ病”を発症し自○未遂を行なった人の証言とも行動はほぼ一致!発作的に行動することからその時のことはほとんど記憶にないと証言しています。

岡田有希子はきっと、失恋が大きな失望感と喪失感となりうつ病を発症、発作的な行動に繋がったのではないでしょうか?

没後30年を迎えた今!どんな新事実明らかになるのでしょうか・・・。

 

この話題について思う事・・・・。
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峰岸徹は岡田有希子の事件のことがあってか、その後再婚はしなかったようです。

この事件を考えると峰岸徹が当時どんな態度で岡田有希子に接し、どんな言葉を掛けていたのか非常に気になってしまいます。

しかし当事者2人がいなくなった今、真相は闇の中となってしまいました。

岡田有希子当人も辛かっただろうし、ましてや残され加害者的立場になった峰岸徹も辛かったでしょう。

今はだた冥福を祈るばかりです。

合掌――

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

岡田有希子 真相を記した遺書が存在!新事実は峰岸徹への思いか?

・・・でした。

 

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